執着
執着している(を持っている)としんどくなるらしい。
手放すと楽になる、と云うが本当だろうか。
「期待」とはどう違うか。
どちらも、自分事でも他人事でも、あり得ると考える。
期待しない事により、期待外れと云う落胆はなくなると想っていて、意識もそう向けている。
執着の場合、目標を無くすような印象があり、何となく想像できない。
…が、一旦は「執着しない」事を意識して行って、無意識の意識に落とし込めるように思考してみよう。
ものは試しだ。
精神年齢
もう、還暦が見える年齢になってきた。
が、精神年齢はと云うと、23〜26歳くらいだと想う。
その頃から(本当はもっと前から)基本的な考えは変わっていないし、話す内容も大きくは変わっていない。
ただ、子供や孫ができたり、仕事や付き合いが変わったり、加齢によるパワー不足を感じたり等の変化はある。
立場が変わると口に出せない事もあるし、感銘を受けて生きる姿勢が変わった所も確かにある。
少しずつだから気づかないのだろうか…。
まぁ、「元気な爺さんになる」目標だけはブレずに居たいと願いつつ、皆の元気も願いつつ、今日も頑張る。
大丈夫!
感謝
以前働いていた会社の経営が傾いた頃、思えば愚痴ばかりだったと想う。
ボーナスカットやWワーク推進により、アルバイトも始めたが一所懸命で在りながらも前向きではなかった。
前向きな気持ちになるために思考していたが、当事者としては視座が低く難しかった。
再就職した時も希望に満ちたものではなかった。
その後、仕事にやり甲斐を感じていた(と想っていた)時期も、評価に対するもので感謝の気持ちではなかった。
今日、急に働けていることに感謝の気持ちを感じた。
ふと、「感謝の気持ち」が浮かんだのたが、何に(誰に)と迷ってしまった。
少し考えて神頼みした時の神様ではなく、妻を始めとする私に関わる全ての人になのだと悟った。
直接伝えなくても感謝の念を抱くことで、幸せな気持ちになる。
今後も愚痴るような時期もあるだろうが、そのおかげで、また感謝できるのだ。
お陰様で、有り難う。
諸行無常
何かよくない方向に向かっている時、何かが壊れたりなくなったりした時に、「いつまでも変わらない」と云う事を解ることは難しい。
当事者でない場合は、視野も狭くなっていないので理解できることも、自分に降りかかるとそうはいかない。
だが、そもそも何も変わっていないと認識していることが間違いで、気づいていなかったり無視しているだけで、必ず変化はしているのだ。
何も変わらないことはなく、必ず変わると云うことだけは変わらない。
何にでも確かなものはなく、不確かなことだけは確かなのだ。
何かの時に落ち込んだり、立ち止まったりする時間が少しでも短くなるように、常日頃から意識するようにしたい。
それでしんどくなるなら本末転倒なので、「無意識の意識」のような、当たり前にしたい。
「幸」も「不幸」も…だ。
今は、まぁまぁ幸せと感じていることも感じつつ。
脱、完璧主義
百点満点中、60点くらいを及第点として、完璧主義をやめようと想う。
そう考えていた訳ではないが、何となく最高を目標にしがちだ。
最初から最後まで100%は無理で、その時のMAXで良いところを、更に緩めにゆるりと頑張る。
ずっと頑張れるように。
満点は諦める。
大丈夫だ。